情報としての書籍とブログ

皆さんもレポートや課題で調べものや文献の引用をする際、一度は以下のように言われたことがあるのではないだろうか。

 

「引用文献にWikipediaは使ってはいけませんよ。」

 

理由としてはWikipediaは不特定多数の人間(あるいはその他、ここでは特に問題とはしない)が自由に編集が可能であること。それによって、内容について責任の所在が希薄であることが挙げられる。

 

今回はこの責任の所在についてが主論となるのだが、2020年代に突入した現在、フィジカルとして出版される情報としての書籍とネット上に存在するブログなどの個人が投稿する文章との間の垣根が無くなり始めているように思える。

 

ブログは情報としての価値が昨今飛躍的に向上している。これは主にインターネットの爆発的な普及と同時にアフィリエイトを通じたブログビジネスの確立が原因であると考えられる。調べたい単語で検索をかければまず最初にヒットするサイトはまとめやブログなどであり、さらにその数は膨大である。またブログ内の情報もかなり充実しており、特にインターネットの特徴を活かしたURLによる新たな情報への迅速なアクセスや視覚的な情報の得やすさは非常に便利である。

 

これらブログの発達には目を見張るものがあるが、私はこの成長にはブログがビジネスとして主流となったことが起因していると考えている。フリーランスや副業で初心者にお勧めされる(これもブログだ)ものでまず間違いなく列挙されるものの一つはブログである。アフィリエイトによって発生するチャージがメインビジネスとして成り立つほどの影響を持つようになったのだ。広告が広告として意味を持つ時、それは大衆の目に触れる時である。そのためにはより良いブログの構築が必要となる。それは閲覧性、便宜性、刺激性など様々な視点があるが、共通して質の向上、もしくは量が求められる。そして数多の上質なブログが発生する。上質なブログが群雄割拠し、より見やすく、正しく、詳しく、透明性のあるブログが構築され、そして最後には内容だけでなく責任も書籍と同等のブログが完成することになるのではないかと私は考える。偽りの記述をすればブログ自身の信頼性を失い、利益を失うことは明白である。閲覧されなければ広告は意味を成さないからだ。

 

ある個人が自分が知りうる、もしくは得意とする内容を文章化し、責任をもって大衆の目に晒す。これは情報としての書籍が担ってきた役割そのものではないだろうか。

 

書店の棚から書籍が消える日がいつか来るのかもしれない。